hibotの起源:東京工業大学
東京工業大学発のベンチャー企業であるhibotの誕生は、社会でロボットが活躍する未来をともに思い描いた教授と留学生たちの出会いに遡ります。
● 独創的な研究者
1972年、広瀬茂男教授は世界初の蛇型ロボットを発表し、世界に衝撃を与えました。
彼の研究は、当時、誰も見たことのない動きをするロボットを生み出しました。
広瀬教授は、「ロボットが蛇のように動くことができれば、狭く危険な環境を進むことができ、人々を助けることができる」と確信していました「ロボットを作る目的こそが重要である」という信念のもと、蛇型ロボットの開発を続け、やがて福島第一原子力発電所の事故対応において重要な役割を果たしました。
● 人の役に立つロボット
「人の役に立つ機械をつくり、人々を救いたい」——この想いこそが、幼い頃からロボットやモノづくりに情熱を注いできたミケレとパウロを突き動かす原動力でした。
彼らはロボット工学をさらに深く学びたいとう思いから、広瀬教授の存在を知り、日本へやってきました。
教授のもとで、蛇型ロボットやクモ型ロボットの改良に取り組み、未開拓の研究分野であったことから、年齢や経験に関係なく大きな役割を任されました。
「改善に終わりはない」「問題を解決できるロボットは必ず生み出せる」という信念は、この環境の中で育まれていきました。
● 生き続ける精神
2004年に設立されたhibotの目標は、最先端技術の産業応用を通じて人々を助けるロボットを創造するという終わりなき挑戦です。インフラの維持管理は、状況が多様であるため、開発したシステムをそのまま適用できることはほとんどありません。
既存のロボットを改良し、解決策に近づいていく難しい道のりが求められます。しかし、どのような業界でも、仕事とは目の前の課題を乗り越えることであり、進歩の真の原動力となるのは、その成果に喜ぶ人々の姿です。問題を解決できるのは特別な才能を持つ一部の人だけだという考えは正しくありません。一人ひとりが持つユニークさが革新的なソリューションに欠かせない役割を果たします。東京工業大学で培われた精神はhibotの礎となり、オリジナルで実用的なソリューションを継続的に生み出すことに尽力しています。